鬼龍院 翔(きりゅういん しょう、1984年6月20日 - )は、日本のミュージシャン、シンガーソングライター、作詞家、作曲家。ヴィジュアル系エアーバンド・ゴールデンボンバーのVo-karu。バンド外でも作曲や楽曲提供を行う。2014年に『第56回日本レコード大賞』の作曲賞を受賞。既婚。… 53キロバイト (4,974 語) - 2024年8月19日 (月) 07:43 |
鬼龍院翔さんのNSC時代の相方とのエピソード、非常に興味深いですね!お互いの個性がどのように影響し合ったのか、人気実力派コンビとなった彼らの道のりを知ることができました。ぜひ今後の活躍にも期待したいです!
1 征夷大将軍 ★ :2024/10/03(木) 07:15:38.79 ID:jkyztKDL9
スポニチ[ 2024年10月3日 06:50 ]
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2024/10/03/kiji/20241003s00041000080000c.html
4人組バンド「ゴールデンボンバー」の鬼龍院翔(40)が2日に放送されたテレビ東京「あちこちオードリー」(水曜後11・06)に出演。吉本興業の養成所「東京NSC」時代の相方について語った。
同番組に初出演となった鬼龍院。歌手の前は芸人を目指しており、2003年に東京NSCに入学していたことが紹介された。同期にはハリセンボン、ライス、サルゴリラらがいる。
NSC時代はコンビを組んでおり、その相方が「しずる」のKAZMAだと明かしてスタジオを驚かせた。KAZMAとは「コントばかりやってました」と振り返り「変な奴でしたね」とポツリ。
続けて「今、なんとなく世間の方が理解し始めましたけど、あの当時、19歳からあのままで。すぐ仲悪くなりました」と、コンビを組んですぐに不仲となったことを明かした。また「僕が作ったネタを、今だからこそ言ってくれるけど“おもしろいけど認めたくないから却下してた”って」と言われたことを振り返った。
NSC時代のKAZMAについては「型ができていた。昔から。演技も最初からうまかったし、世界観もあった」とし、「それでいて、僕らが解散して、(KAZMAの現在の相方)村上(純)さんと組んで、その一発目のネタ見せがおもしろかった。僕はもうそのへんで結構お笑いに関する心が折れてた。僕向いてないのかなって思い始めて、卒業するころには“この世界やめよう”って」と芸人の世界を諦めたと語った。
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2024/10/03/kiji/20241003s00041000080000c.html
4人組バンド「ゴールデンボンバー」の鬼龍院翔(40)が2日に放送されたテレビ東京「あちこちオードリー」(水曜後11・06)に出演。吉本興業の養成所「東京NSC」時代の相方について語った。
同番組に初出演となった鬼龍院。歌手の前は芸人を目指しており、2003年に東京NSCに入学していたことが紹介された。同期にはハリセンボン、ライス、サルゴリラらがいる。
NSC時代はコンビを組んでおり、その相方が「しずる」のKAZMAだと明かしてスタジオを驚かせた。KAZMAとは「コントばかりやってました」と振り返り「変な奴でしたね」とポツリ。
続けて「今、なんとなく世間の方が理解し始めましたけど、あの当時、19歳からあのままで。すぐ仲悪くなりました」と、コンビを組んですぐに不仲となったことを明かした。また「僕が作ったネタを、今だからこそ言ってくれるけど“おもしろいけど認めたくないから却下してた”って」と言われたことを振り返った。
NSC時代のKAZMAについては「型ができていた。昔から。演技も最初からうまかったし、世界観もあった」とし、「それでいて、僕らが解散して、(KAZMAの現在の相方)村上(純)さんと組んで、その一発目のネタ見せがおもしろかった。僕はもうそのへんで結構お笑いに関する心が折れてた。僕向いてないのかなって思い始めて、卒業するころには“この世界やめよう”って」と芸人の世界を諦めたと語った。